2009年1月28日水曜日

青写真:ArtWork:Ubuntu+南会津

英語フォーラムで暴れるためのネタ。

「南会津の風景・文物の写真とスケッチ」(←当然、僕の感性にとっぷりと浸り染め尽くされている)から壁紙を起こしアートワークコーナーに投稿する。調子が出てきたら調子に乗って公式リリース用の壁紙にも投稿。全世界に誤った日本像を発信し、最終的に南会津がUbuntuと地球を征する日を現実のものとする。

青写真:プログラミング:日本語コマンド&日本語Shell

パッケージ coreutils で提供されるコマンド群にラッパースクリプトを噛ませて日本語文の並びで命令可能にする。

例)
$rmよ 「hoge」を 強制的に 再帰的に 消せ

↑「rmよ」って名前の、引数の文字列を置換するスクリプトを作成。上の場合は rm -f -r hoge というコマンドラインに翻訳される。gawk&sed で作れそう。全角スペースも半角スペースと同じ扱いに出来たら入力時に楽かな?

誰かが scim-julius みたいなもんを作ってくれれば mlterm の縦書き表示と併せて呪文を唱えるようにしてPCを操れる怪しげなステキな環境が実現出来ると思う。

同様の発想で、実体は「dash+文字列置換」な日本語の語順&てにをはで記述可能なシェルを作る。(ホントは dash なんかをベースに一から組めた方がいいはずだけど)



CLI が取っつきにくい理由は色々あるけど、コマンドやシェルの構文構造が英語だからってのが見落とされているよな、と日本語プログラミング言語「なでしこ」のブースを見て気がついたのでした。

将来日本語Shell を実装する機会があれば「なでしこ」のコードを大いに参考にしたく思います。←その前にコード読めるようにならねば……道は長く険しい(泣)

# ってかコレ、既にやってる人が居そうですね。

今は LaunchPad あたりを使ってプロジェクトに出来たら面白そうだなってぼんやり思ってます。

ゆくゆくは南会津の訛りでコマンド入力可能に!
$rmよ「hoge」 消してけろ。
(↑アホ)

青写真:プログラミング:新型機人界面装置その2

ねくすとじぇねれーしょんまんましんいんたーふぇいす案其ノ弐

コンピュータは融通が効かない。相対する人間の気持ちを察することが出来ないからである。ここにPC対人間の関係性改善の余地がある。

身振り手振りや表情は「ノンバーバルコミュニケーション」の例としてよく取り上げられる。人間に共感を覚えるコンピュータを実現するには人間と非言語的に意志を疎通出来る必要がある。

その第一段階として、Webカメラを通して入力される人間のジェスチャに反応しマウスのようにポインタを移動し、あるいはクリックを再現するシステムを設計・実装しようと思う。



ハイ。またしてもぶちあげました。まぁ……内部構造が全く違う存在の間に共感が成立しうるか?と聞かれると僕も「びみょーだなぁ」と思っています。脳に於けるミラーニューロンの存在や、無理に笑顔を作っても楽しい気持ちが生じてしまうような心身の強い相関、あるいは実は身体反応が感情に先んじているのではないか、などなど、科学雑誌読んで頭に入ってきた自分の受け売り的半可通的知識に照らしても、生活感に溢れ溺れている自分の日常における実感と突き合わせても、ハード的・構造的にある程度似せて作らないとソフトウェアエミュレーションでは感覚的世界の共有は図り難いだろうなぁと感じます。逆に、ブレインマシンインターフェイスの発想をもう一歩推し進めて人間の脳をコンピュータ化するアプローチもありそうですが、お手軽な実験手段がないので僕や〜らない。

さて、実装を考える時点で死ねそうです。関連論文読み漁るところから始めるかなぁ。これにせよ前のにせよ、5年10年(あるいはもっと)単位で動いていかないと他の創作活動や本業と両立出来なそうな気配。期待せず気長に見守って下さいまし。

# 難しすぎたら諦めます orz

独学Linux様のジェダイ養成講座に刺激を受けましてアイディアスケッチをつらつらと。そうです。実はWebCamをHIDに使いたいだけなのです。

青写真:電子工作:新型機人界面装置その1

ねくすとじぇねれーしょんまんましんいんたーふぇいす案其ノ壱

媒体の物理構造・性質と記録されている情報に直接の因果はないものの、情報自体は環境との相互作用により変容し続ける。
生物的な情報(遺伝情報・神経記憶)の特徴として思いつくところである。

これとPC上の情報を比較するに、相互作用と変容の面では「体」を持たない分生物に圧倒的に劣る。例えば言葉は対応する現実があってこそのものだから、翻訳や漢字変換は「文脈」の認識の問題が常に壁となる。

言語に対する感覚や人間に対する適切な応答を持たせるために、PCに五感、あるいは身体感覚と呼べるものを与えるべきであろう。

また、文化の発生過程と子供の発育のどちらにおいても発話が文字に先んじることからも分かるように、人間同士のやりとりは聴覚への依存性が高い。よって、マンマシンインターフェイスにおける音声認識・合成は極めて重要であると考えられる。

同時に重要なものとして認識されるのが表情である。この重要性は「目は口ほどに物を言い」のことわざ一つの例示で充分に伝わることと思う。

そう。コンピュータには五感と表情と発話機能を持つ人形が接続されていて然るべきなのだ。

上記に関する先駆的実験として、物理デバイスとしてUSB接続される「何か/伺か」用シェルを暇をみて作ってみたい。



以上、フザケたデバイスの必要性を屁理屈でこじつけてみました。本気出して作るつもりではいますが、動機は笑いをとりたいからに他なりません。すなわち真顔の冗談です。

http://www.linux.or.jp/JF/JFdocs/Coffee.html
↑コレと同じノリです。今の時代に作るならBluetooth版とか、無線LAN接続版(文字通りコーヒーサーバー)とかを作ってみたいなぁと思っていたり。

Linuxは仕様が公開されていますから、アイデアと時間と執念さえあれば幾らでもネタデバイスが作れる気がしています。

がんばるぞぉっ!

※ 実のところ Asterisk のブースでネギ振ってた「はちゅね」が可愛くて自分も何か作りたくなっただけだったりします。内緒ですよ?

2009年1月26日月曜日

その他:OSC仙台でびびっと電波受信しました(^-^)/

今回はUbuntuJapaneseTeamの皆さんにお会いすることを楽しみに会場に。

OSC自体初参加だったのでとても刺激的でした。

先ず痛感したのが実際に会って初めて気がつくことの多さ。当たり前なのですが、ネットは人間の持つ感覚の内ほんの一部しか伝えてないんだなーとつくづく。特に、ある(実物はとてもお茶目で天然な)方に対する印象が音を立てて組み変わりました。

それから、新しいHNを貰いましたが使いどころがわかりません。自慢したいのにTPOがそれを許しません。

その他にも色々、当たり前のことを再認識したり。

フツーの人達がフツーに凄いことしてるんだなー、喜怒哀楽、悩んだり怒ったり笑ったりふざけたり恋したり酔っぱらったりするフツーの人達なんだなー、とか。

コミュニティーや技術や開発に傾ける情熱とか愛着とか、扱っている物事への誠実さとか。

自分の中でのUbuntuが「Ubuntu for Humanbeings」から「Ubuntu by Humanbeings」に変わった瞬間でした。

ブースを見て回り思いついた変な事々については後程。DamienOSASKAsteriskNetBSDの印象が強烈だったことを書き添えて、ひとまずは筆を置きます。